黄泉の国

お正月。
めでたい雰囲気につられてか黄泉の国から帰って来たみたいな人たちが街に結構いる。
大丈夫か。
駅と電車は空いている。
電車は混み過ぎていても空いていても生気を失ってしまって、このまま黄泉の国に連れて行かれそうだといつも思う。
ほどよい乗車率だと生気が保たれる乗り物。
極端なものには魂を売ってしまうのだろうか。
斜め向かいに座る男児のズボンの丈が明らかに足りてないので買ってあげてほしい電車内。

エイリアンズ(だいぶ前に書いた感想文)

キリンジの「エイリアンズ」が好きで寝るときによく聴くんだけど、最近気がついた。

この曲が寝るときに合ってるのって夜の曲だからじゃん!!!
深夜から夜更けにかけてを歌っているもの、暗闇との相性ばっちりだよね。
まどろんだ印象のイントロも夜の曲だからだよね。
どうして気づかなかったのか…
ものすごい発見をした気になってたんだけど、遅すぎる発見だった。
皆がとっくに気づいているであろう事にわたしはいつも気づかないよ!!!!!
歌詞、好きな人をエイリアンって喩えるのおしゃれすぎるよね。
謎がいっぱいな存在って魅力的!!!!!
それだけじゃなく「禁断の実 ほおばって」「月の裏を夢みて」るのよね。
見えないものを知りたくなる気持ちね。思いを馳せるよね。ここにいたら絶対に見られない景色。だけど絶対にある景色。
いつか誰かが見せてくれるかもしれないけど。
それで2番で「新世界」を見ようとするんだよね。
あーそうか、エイリアンってそういうことか。
何の変哲もないいつもの町も、自分たちがエイリアンだったら違う景色に見えるかもしれないってことか。
そもそも「エイリアンズ」だもんね。だから好きな人もエイリアンなのか。
二人で「新世界」を見つけようってことか。
書いてて思った。
魔法かけるんだもんね。
ラブソングとしてのエイリアンじゃないのか。
はー!
でも好きな人を愛を込めて「エイリアン」って喩えてる説も捨てたくない。
両方採用しよう。
個人の感想は自由です。
あとは最後のほう「暗いニュースが 日の出とともに町に降る前に」って歌詞がとても好き。
朝刊が配達されてニュースが町に広まる感じ。それとも朝のワイドショーかな。
バイクの音とか薄暗さとかちょっと湿ったにおいを思い出させる。
本当はワンフレーズごとに感想述べたいほどだけどやめておこう。
色んな世界があることを知ると、自分のいる場所が窮屈だったり退屈に思えることある。
それをどうやって受け入れたり、変えていくか。
みんながみんな自由じゃないから、生活をこうやってドラマチックに描いてくれる人がいてもいいよねー
音楽は自由に聴けるからいい。
メロディーについても書ければいいんだけど、メロディーに関しては好きか嫌いかしか言えない。
まとまった感想文だけにしようか悩んだけど、そのままにした。
そもそも弟本人が何かで「特に何もない普通の町をドラマチックにしたかった」みたいなこと言ってるからこれわたしが書かなくても完結してるんだけど、書きたかった。
書くために禁断の果実についても調べたよ。
これ書いてる間ずっと聴いてる。
いい声だー
「エイリアンズ」 うた:キリンジ
作詞:堀込泰行
作曲:堀込泰行

怖い話

夏だから不思議な話を。
五歳くらいのとき小さい手を見た。
夜、パジャマを取りに行ったら窓に子供の手が貼り付いてた。
不思議に思ったままタンスからパジャマを出して、もう一度窓を見たらその手は消えてて、自分の手の影かと思って試してみたけど同じにはならなかった。
すごくびっくりしたのになぜか誰にも言えなくて、高校三年生くらいまで黙ってた。
初めて話したとき父は「なんで早く教えないのよ!見たかった、幽霊見てみたい」と言ってた。
父は幽霊も宇宙人も信じてないんだ。
見たことないから。
うちはこの前後数年のどこかでムジナが住み着いてたから、ムジナだったのかなーとも思うけど、これを見た時期にムジナが住んでいたら不思議には思わなかったはずとも思う。
しかも窓に手が届くほどムジナ大きくなかったな。
あれはなんだったのか。
そしてムジナが住み着く家ってなんだよ。

ジョーク

子どもの頃、来客中にキャンディーを喉に詰まらせて死にそうになったことがある。

母の近くでゴロゴロしながらキャンディー食べてたらスポッと喉の奥に…
母が私を逆さにして必死で背中叩いてキャンディー取ってくれたよ。
本当に母は必死で、私は苦しいながら「お母さんがすごく慌ててる」と思った。
一命取り留めてよかった。
うさぎの絵が描かれた包みのキャンディーで美味しくて大好きだったの。
サンリオのマロンクリームちゃんだと思ってたけど、調べても出てこないから違ったのかな。
ちなみに来客は生保レディーだったんだからとんだジョークだよ。
本当の話。

母性や父性

数年前、横浜の赤レンガ倉庫で40〜50代の男性カップル(一方が女装)が赤ちゃんを連れていて「養子かー」と思ってたんだけど、近づいたときによく見たら人形だった。

赤ちゃんじゃなかった。
赤ちゃんの人形だった。
生きてなかった。
同性カップルが子供を持ちたいという気持ちの果てにあったものが赤子の人形…。
そして連れ出す。
たしか旦那さんが空のベビーカー押して人形をおんぶか抱っこしてたんだけど…
とっても衝撃を受けたのに時が経つとディテールは忘れてしまうから人間はすごい。
赤ちゃんの人形を連れて歩いてる同性カップルがいたということは鮮明に覚えてるのに。
二人の中で色々な葛藤とかあったんだろうか。
同性カップルが養子を育てることは世間の目を考えるといまだに難しいのかな。制度も私にはわからない。
当時は「人形を我が子のように連れて歩いてるなんて狂気の沙汰」としか思わなかったけど、今考えても狂気の沙汰。(これは同性カップルだからとかじゃなくいわゆる大人全員に当てはまります)
後にも先にも赤ちゃんの人形を連れて歩いてる大人は見たことがない。
私がぬいぐるみ可愛がるのとはわけが違う。と思ったけど、この歳でぬいぐるみ可愛がってるのもある種狂気の沙汰なのか母が私のぬいぐるみを見て「いい歳して信じられない」と吐き捨てた。
母性や父性の行き着く先が幸せでありますように。